ボート部近況・2007.2.13

艇友会会員各位

 

皆々様におかれましては、益々御健勝のこととお慶び申し上げます。

12日の初漕ぎ並びに新年会に、急なご案内、又あいにくの天候にもかかわらずご出席いただきました方々には感謝申し上げます。この冬は暖冬ということで農作物の値崩れ、スキー場の雪不足等々と、例年にない状況であり、多くの方々が厳しい状況に置かれています。ただボートの水上練習にはげむ現役生にとりましては有り難いことではありますが。

 昨秋の中部高校選抜のレース結果で、今春(3月下旬)の全国高校選抜ボート選手権の出場が得られるわけですが、津高現役(2年生)クルーは残念乍ら出場権を得ることができませんでした。今春のレースは4月以降の大会となります。是非、持てる全力を発揮し、OBに昨年、一昨年のような感動、感激を与えてくれればと思います。

 現3年の清水君は、217日頃、東京―早稲田大学漕艇部合宿所へ巣立つことになりました。3月の卒業式には一時戻りますが、その後再び上京し、大きな夢大きな目標に向かって益々羽ばたいてくれるものと期待するところであります。

 さて、現役部員5名確保できなければ廃部の問題ですが‥‥‥。

ボート部について語る時、私達はともすると「艇庫」を当然の存在や話題の背景としてしまうことがあります。しかし、ボート部は艇庫の存在をなくしては成り立ちえないのが現実です。今、このような当然過ぎることに言及いたしますのは、今ふたたび艇庫の存続が困難になる可能性が浮上しているからです。それは、過去2年の清水大輔君の大活躍にもかかわらず、現役部員数の減少によるボート部廃部が懸念されるためです。つまり、現艇庫はボート部の存在を前提にした年間保管利用料の学校負担により存続されているためです。艇庫があれば仮に廃部となっても練習の継続・試合出場やボート部復活は可能です。
しかし、一度艇庫を失えば
120年を越え連綿と続いてきた伝統の継続は極めて困難となります。このため、過去に幾度も取り上げられた艇庫の問題を改めて検討・対処致したく、会員各位のご意見を頂きたく宜しくお願い申し上げます。ご連絡は事務局迄。

【参考】

(百周年記念誌による艇庫関連事項概略)

 120年に及ぶ我がボート部の艇庫についてその沿革を記念誌に求めると、ボート部元年(1886年、明治19年)からの初期においては記録がなく、明治36年(1903年)に校長を会長とする校友会による新艇建造の為の父兄・有志に対する献金呼掛け文の見積書の中に、端艇3900円とともに繋ぎ場250円が計上されており、これが記録上確認できる最初の記録です。その後の明治42年(1909年)当時は新堀西北陸上に艇庫があった旨の記事がありますが詳細は不明であり、この時の艇庫が明治36年の繋ぎ場と同じなのか、また、第2次世界大戦を挟みボート部の伝統を支え続けた贄崎の新堀艇庫と同一であるかどうかは不明です。

 戦後、昭和34年(1959年)戦火をも免れた新堀艇庫はこの年の伊勢湾台風により艇とともに壊滅し、その後の大規模護岸工事に伴い移転を余儀なくされました。このため、当時の艇庫の敷地約60坪を売却し、その代金63万余円は、ボート部資金としてひとまず学校保管となりました。このため、新艇庫が確保できるまでの間、一時期先輩の御厚意による艇置場の提供の後、中部電力艇庫を借用してボート部は存続していました。この間、艇庫候補地を探す中で、津競艇移転による旧施設の利用を検討、諸先輩の努力により旧特別観覧室(現在の艇庫床下部分)の利用申請を行い、県費200万円を確保し施設整備を行い新艇庫が昭和46年(1971年)3月完成しました。この後、同所の無償払下げのための申請を行い実現に努力するも、県モーターボート協会からの利用計画により交渉中断、却下となりました。

 その後は、昭和49年(1974年)3月より1年毎の無償契約の更新が続きましたが、財団法人伊勢湾海洋スポーツセンター設立に伴う艇庫を含む現地の土地・建物の移管により、昭和513月以降は保管利用料(当初年間20万円、現在25万円)を学校にて負担頂き、艇庫修繕費は当会も補助し現在に至っています。

 なお、一時期学校保管となっていた旧艇庫売却代金は現在当会にて管理しており、現在額は、1,538,860円となっています。




会計の内山政美会員(S.47年卒)にいろいろ調べていただきました。

〔昭和46年卒 前川祥一〕